人名
| 注記 | 雑誌 |

ブンゲ, マックス

曹長 第7中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, auch bei Ölbildmalerei (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 546, 554).
Autor von „In Kriegs- und Friedenszeiten beim III. Seebataillon 1898/1901. Erinnerungen eines ehemaligen Seesoldaten“ Tsingtau: Druck u. Kommissionsverlag Adolf Haupt, 1914 (Preis 30 Sen, früher Mex. $ 0,80), erhältlich bei der Lagerdruckerei ab 22.06.1919 (vgl. T.T.B. vom 22.06.1919, No. 66).
Reichte Urlaubsgesuch nach Shanghai ein (s. T.T.B. vom 07.11.1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第7中隊・曹長。
〔第2歩兵堡塁〕。
大胆な行動で日本軍の前線を突破して、日本軍陣地を詳細に偵察して報告した。青島陥落前夜部下達に、「我ら進まん祈りに応えて…」の歌を歌うよう励ました。【Gottberg《Die Helden von Tsingtau》108頁】ブンゲ曹長は一兵卒の時代に起こった義和団事件の折りの活躍で、青島のドイツ人社会では知らぬ人のいない人物であった。除隊後も東アジアに留まった。青島のベルリン福音教会教区監督フォスカンプの日記を基にした体験記『包囲された青島から』(《Aus dem belagerten Tsingatu》)にも、しばしばその名が登場する。
1918年3月8日から19日かけて開催された板東公会堂での絵画と工芸品展覧会において、弟カール(Karl)・ブンゲとともに公会堂を美術ホール風に飾りつけた。自身は油絵「私の両親の家」という、丁寧な作品を出品して三等賞を受賞した。
(1842:丸亀→板東)

雑誌 

1919年06月22日: 日刊電報通信

1919年6月22日 第66号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年02月28日: 日刊電報通信

1919年2月28日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年03月29日: 日刊電報通信

1919年3月28日(訂正29日)  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年11月07日: 日刊電報通信

1919年11月7日 第196号  (第8巻 vol.3 1919年9月1日~1919年11月29日)

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1917年05月24日: 日刊電報通信

1917年5月24日  (第1巻 1917年4月18日~1917年8月31日)

1917年12月09日: 日刊電報通信

1917年12月9日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)