人名
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ハンゼン, ヘルマン・リヒァルト

1等軍楽手 第3中隊 膠州海軍砲兵大隊

注記 

Leiter des Tokushima Orchesters (ab Oktober 1918: Orchester der MAK).
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, Schiedsrichter der Abteilung "Bildkunst" (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 553).
Als Schleswiger frühzeitige Abreise aus dem Lager Bandō am 26.08.1919 (s. a. T.T.B. vom 26.08.1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

(1886-1927)
海軍膠州派遣砲兵大隊第3中隊軍楽隊長・軍楽曹長。
徳島時代、「徳島オーケストラ」を結成した。板東時代の1918年6月1日、板東収容所における徳島オーケストラ第2回コンサートで、日本におけるベートーヴェンの「第九交響曲」が初演されたが、その時の指揮を執った。その折りに第4楽章の「合唱」でソロを受け持ったのは、ヴェーゲナー(Wegener)2等歩兵、シュテッパン(Steppan)2等歩兵、フリッシュ(Frisch)2等歩兵及びコッホ(Koch)伍長の四人であった。弦楽オーケストラと吹奏楽団の二つの楽団を率いて、休みない活動を続け、パウル・エンゲルとともに板東収容所での音楽活動で多大の功績を果たした。月刊『バラッケ』の1919年8月号には、筆名「M」による「シュレースヴィヒ人の出発」という記事が載せられた。その中で筆者は、特にハンゼンについて、「収容所の中でもっとも功績があり、またもっとも皆に好かれた人物の一人である」と記している。【冨田『板東俘虜収容所』164-167頁より】1919年8月26日、出身地の帰属を問う州民投票のため宣誓解放され、ブロイニンゲル(Braeuninger)、フライエンハーゲン(Freyenhagen)、ヤスペルセン(Jaspersen)、イェプセン(Jepsen)、カルステンス(Carstens)、ニールセン(Nielsen)の6名のシュレースヴィヒ出身者とともに一足先に帰国した。
(4185:大阪→徳島→板東)

演奏会 のプログラム 

徳島オーケストラのクリスマス・コンサート (1917年12月23日)

タンネンベルク戦勝第4周年記念コンサート (1918年08月28日)

「軍隊行進曲」 第15回徳島オーケストラ演奏会 皇帝陛下 [ヴィルヘルム2世、ドイツ帝国]の誕生日に  (1918年01月27日)

徳島オーケストラ 第16回演奏会 1918年2月24日 第1回シンフォニー・コンサート ベートーヴェンの夕べ (1918年02月24日)

徳島オーケストラ 第17回演奏会 (1918年03月31日)

徳島オーケストラ 第19回演奏会 1918年7月21日 (1918年07月21日)

徳島オーケストラ 第21回演奏会 (1918年08月18日)

第24回MAKオーケストラ演奏会 (1918年09月29日)

第25回MAKオーケストラ(弦楽オーケストラ)演奏会 (1918年11月17日)

演奏会 のプログラム 

「ペンション・シェラー」 笑劇 (3幕) 原案W.ヤコービ カール・ラウフス作  (1917年12月12日)

雑誌 

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年7月  (第4巻 1919年4月~9月)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年8月  (第4巻 1919年4月~9月)

1919年03月29日: 日刊電報通信

1919年3月28日(訂正29日)  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年08月04日: 日刊電報通信

1919年8月4日 第110号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年08月11日: 日刊電報通信

1919年8月11日 第117号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年08月25日: 日刊電報通信

1919年8月25日 第127号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年08月26日: 日刊電報通信

1919年8月26日 第128号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年10月20日: 日刊電報通信

1919年10月20日 第178号  (第8巻 vol.3 1919年9月1日~1919年11月29日)

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1918年05月03日: 日刊電報通信

1918年5月3日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年05月07日: 日刊電報通信

1918年5月7日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年05月09日: 日刊電報通信

1918年5月9日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年10月12日: 日刊電報通信

1918年10月12日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)