人名
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クラウトケ, パウル

海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

1917年11月の「中国の夕べ」の連帯主催者 (vgl. “Die Baracke” No. 10 vom 2. Dezember 1917)

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第6中隊・2等歩兵。[青島食肉加工所検査官]。松山時代、公会堂の講習会で物理学の講師を務めた。板東では食肉の検査をした。また、工芸品展には付属品付きの養蜂箱を制作・出品した。さらに坂西農養蚕学校に出張して、植物標本の作製方法を指導した。1917年11月26日、「中国の夕べ」で講演を行う。1919年1月24日には、「米と茶の栽培及び養蚕」の写真展を開いた。大戦終結後、帰国に際して板東小学校に植物標本を寄贈した。
(2971:松山→板東)

雑誌 

1917年12月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第10号 1917年12月2日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1918年01月06日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第15号 1918年1月6日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1919年02月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第18 (71)号 1919年2月2日  (第3巻 1918年10月~1919年3月:第1号(54)1918年10月6日~第26号(79)1919年3月30日)

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)