Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit in Zitaten

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ここ数週間あるいは数ヵ月の水曜日、まだ日本人のラッパ手と飼犬のカブトがそろって夜明けを告げる前の朝早くに 寝床を出た人は、どうにか見ることができた。アフリカ内部の調査旅行にでも行くように荷物を背負った一団の人々が、ひどく大股で収容所を出て行くのを。早起きの一人がささやいた。「おれたちの芸術家たちだよ。町に行くんだ。そこですぐ使い切ってしまうような物を手に入れるんだが、それで目分の名誉と次の展覧会の名誉のためにいつまでも残るような作品を作るんだ」。「だけどそこにXもいるぜ。奴も芸術家になったのか」。朝霧に消えて行く人々の中に、 早起き連中は実直な隣人を見つけたのである。彼らは自分の無能さを嘆きながらも点呼に出かけ、 ともかく次の水曜までには芸術家になると誓っていたのである。

 

しかしこんな朝早くでなくても、 展覧会が近づいていることの最初のほのかな光を読み取ることができた。身も心も新鮮にしょうと (身体は一生懸命働くことで、心は、もう少し続きそうな戦争も橋ができる頃にはきっと終わるという穏やかな確信によって)、よい天気の下で「橋作り」に励んでいる人、その人も働きながらわれわれの芸術家を見ることができた。彼らは画架の蔭に座り熱心に筆を動かしていたし、ゆったりと野原や森をさすらっている生活芸術家もいた。

 
 

展覧会の開始が近づくにつれ、展覧会担当者の励ましの声もきつくなり、収容所内部にも大事なことが迫っているという兆しがみなぎってきたタアパオタオでも、工場地帯でもバンドー東の別荘コロニーでも、至る所で熱に浮かされたような活動が始まった。どこを見ても新しい小屋が地上にできており、 家内労働者の居場所を提供するために、哀れな農場主は腋の下ににわとりを抱えゲートの前に移らなければならなかった。そこで再確認できたのは、あまりに長い俘虜生活がいかにものの考え方を混乱させているかという点である。何人かの人が言うには展覧会のために小屋が作られたのではなく、小屋が作られたから展覧会が開かれるというのである。どうやらすでに、この気の毒な人々は原因・結果を取り違えているらしい。もしも人員の交換などということがあるとしたら、こんな連中が対象になろう。

 

そうこうするうちに、展覧会の主催者はひどく忙しくなった。シュテッヘル大尉、ミュラー少尉、ラーハウス火工副曹長、コッホ火工副曹長、メラー副曹長、デーゼブロック伍長、フォン・ホルシュタイン2等海兵などである。日本人とドイツ人すべての希望にきちんと応え、それらをたがいに 一致させ、その上限られた資金でまかなうというのは、容易なことでなかったろう。バンドーの役場は、無償で公会堂を貸してくれた。しかしこうした日本の公共の建物は、祝祭の場らしくない。そこでブンゲ曹長は弟と一緒に計画を立て、ごく短時間で冷たい木造の小屋をかなり趣味のよい快適な明るい美術ホールに塗り変えた。さらに、何枚かの展示板が運び込まれた。それからデーゼブロック伍長の指導で、たくさんの山の常緑樹の葉を持ったヴォランティアの一軍が入ってきた。次にはショーン伍長の専門知識をふまえた指導の下で、蔦で編んだ緑が部屋に住み心地のよい温かみを与えた。3月8日の早朝、展覧会のお客を受け入れる準備はすっかり整った。主催者は、いっぱいの誇りを持って出来ばえを見やることができた。
オープンの数日前からもう、収容所と展覧会場の間にあるバンドーの区域はドイツの野蛮人一色だった。どの店でも、メラー副曹長の作ったドイツ風の色で趣味よく仕上げられた展覧会のポスターが見られた。どこででもドイツ兵士は自由に動き回っており、あちこちにいる日本人の歩哨だけが、 われわれが楽しんでいるのは仮の自由でしかないことを、無粋に思い起こさせるくらいだった。

 
 

『ディ・バラッケ』第1巻第25号1918年3月17日p.324-346からの抜粋