板東収容所のバーチャル・ツアー

31. 第1厨房

 
 

第1、第2厨房はともに下士官兵用の厨房であり、第1厨房の監督をしていたのは炊事下士官のリンケであった(1)。建物内には本来の厨房のほか浴場があり、これは合唱やオーケストラの練習にも使われた(2)。ここでは、収容所当局から提供された食材によって捕虜たちが自炊を行い、出来上がった食事は居住棟であるバラックで分配された。食事の分配の際にはどうやら「早い者勝ち」の原則が採用されていたようで、『ディ・バラッケ』紙の一節にはこうある。「食事班が湯気の立っているバケツを一つか二つ、そんなに重そうでもない様子で運んでやってくると、私は席から立ち上がり皿をつかむ。もうじき、「こちらへ」という命令が響くことになるからだ。つまり飼葉桶に向かうわけだが、行くのが遅いとたいてい分け前がなくなってしまうのだ。むろん豆が機関銃の弾みたいに堅くて消化、できないような物なら別だが、最近はありがたいことにそんなことはなくなっている。」(3)

 
 
 
 

小屋の内部あるいは士官用バラッケでの食事風景. 鳴門市ドイツ館所蔵の写真:ネガ番号 85-19

屋外での食事. 写真所有:鳴門市ドイツ館

 
 

(1) Fremdenführer durch das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. 1918, S. 23
(2) Die Baracke Bd. 1, No. 23, 3. März 1918, S. 8=500 und Die Baracke Bd. 1, No. 15, 6. Januar 1918, S. 7-8
(3) 『ディ・バラッケ』第1巻第23号1918年3月3日p.297