海軍東亜分遣隊・後備副曹長。松山時代、大林寺の収容所講習会で英語の講師を務めた。また板東では、収容所内の「タパタオ」でローデ(Rode)と共同で薬局を営んだ。1918年10月23日には、マイヤー・フェルスター作の戯曲『アルト・ハイデルベルク』上演に際して演出を担当し、1919年3月5日には「ラジウムと放射能」の題で講演した。(3175:松山→板東)
歌曲の夕べ ピアノ・リュート伴奏による歌曲。朗読。バイオリン・ピアノ・ソナタ (1918年12月29日)
「アルト・ハイデルベルク」 (5幕) ウィルヘルム・マイアー=フェルスター作 (1918年10月23日)
1918年02月10日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞