海軍東亜分遣隊第1中隊・2等歩兵。元音楽指揮者。習志野時代、60人編成の習志野男声合唱団の指揮者を務めた。1915年5月24日、主宰する合唱協会の「歌曲の夕べ」で指揮を執り、同 年12月25日の習志野収容所でのクリスマスコンサートでは、P.ローデの作品10「エア・ヴァリエ」及びヘンデル の「ブーレ」をテーン(Theen)伍長のヴァイオリンに合わせてピアノ演奏するなどの活躍をした。1919年10月15 日、「アルフォンス・ヴェルダー氏のための謝恩コンサート」が収容所で開催され、最初の演奏曲目は自ら作曲した「俘虜の歌」であった。(288:東京→習志野)
H.ミリエスのコンサート フォン・ヴェーデル少佐、ハイメンダール海軍少尉、A.ヴェルダー氏共演 (1919年03月09日)
アルフォンス・ヴェルダー男性合唱団指揮者のための義援コンサート (1919年10月15日)