Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit in Zitaten

はじめに

 
 

以下のページでは、収容所の雑誌から「美術工芸展覧会」に関連したテクストを読むことができます。この展覧会は、俘虜たち自身によって1918年3月8日から20日まで開催されました(参照:美術工芸展覧会)。展覧会の主催者、訪れた人々や通訳者は、この展覧会という行事をとりまく環境でおこった大小の出来事について、自分自身の言葉で書き記しています。それによって、当時の雰囲気が再びよみがえってきます。俘虜たちに同行して、展覧会会場を一巡りしてみましょう。すると例えば、東久邇宮殿下が展覧会に展示された品々に対してどのような反応をお示しになったのかがわかります。

以下のテクストを閲覧することができます:
『ディ・バラッケ』第25号は「展覧会特別号」でした。そこには展覧会についての詳細な批評が掲載されています(1)。この「展覧会特別号」には多数の問い合わせが寄せられ、後で復刻版を作製しなければならないほどでした(2)。『朝日新聞』のある記事には、美術工芸展覧会の開幕について書かれています。この日本語の記事の翻訳が『日刊電報通信』(Täglicher Telegrammdienst Bando, T.T.B.)に掲載されました(3)。通訳を務めたクルト・マイスナーとハンス・エゲブレヒトは、『ディ・バラッケ』に2本の長い記事を寄せています。その中で彼らは、日本人の展覧会訪問者との部分的にとてもおもしろい体験を報告しています(4)。東久邇宮殿下のために、撫養では特別展覧会が開催されました。同じくこの特別展覧会についても『ディ・バラッケ』に記事が掲載されています(5)

 
 

(1) 『ディ・バラッケ』第1巻第25号1918年3月17日p. 324-346
(2)  T.T.B. Bd. 3, 21. März 1918, S. 2
(3) 日本語原文は 『朝日新聞 徳島・高知・香川・愛媛(地方集刷)』大正7年3月8日に発行されました。この記事の独訳は、当時 『日刊電報通信(T.T.B.)』に掲載されました(おそらく T.T.B. 第3巻1918年3月13日の記事だと思われます。しかし製本の際に誤ってT.T.B. 第2巻1917年10月30日の後に収録されています)。
(4) 『ディ・バラッケ』第2巻第1(27)号1918年3月31日p. 6-9;『ディ・バラッケ』第2巻第2(28)号 1918年4月7日 p. 25-29
(5) 『ディ・バラッケ』第2巻第7(33)号1918年5月12日p. 124-125