人名
| 注記 | 雑誌 |

デュムラー, リヒァルト

海軍大尉 第3中隊 膠州海軍砲兵大隊

注記 

Spielte Cello beim Kammermusikabend am 26.03.1919 in Bandō (vgl. „Die Baracke“ Nr. 26 (79) vom 30. März 1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍膠州派遣砲兵大隊第3中隊長・海軍大尉。
〔ビスマルク山砲台指揮官〕。
徳島では収容所の俘虜代表を務めた。板東時代、砲兵大隊スポーツ協会の役員を務めた。また1919年3月26日、「室内楽の夕べ」が開かれてシューベルトの五重奏「鱒」が演奏された。その折りデュムラーはチェロを担当した。他は、ガルスター海軍中尉のヴァイオリン、クラインシュミット予備少尉のヴィオラ、クラーゼン伍長のピアノ、ナスート砲兵伍長のコントラバスという編成であった。ドイツに帰国後、日本軍攻城砲の効果についての詳細な記述を残した。【『青島戰史』121頁以下】
(4137:大阪→徳島→板東)

雑誌 

1919年03月30日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第26 (79)号 1919年3月30日  (第3巻 1918年10月~1919年3月:第1号(54)1918年10月6日~第26号(79)1919年3月30日)

1919年02月11日: 日刊電報通信

1919年2月11日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年02月18日: 日刊電報通信

1919年2月18日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年07月02日: 日刊電報通信

1919年7月2日 第76号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年08月15日: 日刊電報通信

1919年8月15日 第120号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年08月22日: 日刊電報通信

1919年8月22日 第125号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1917年09月08日: 日刊電報通信

1917年9月8日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年10月29日: 日刊電報通信

1917年10月29日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月09日: 日刊電報通信

1917年12月9日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月07日: 日刊電報通信

1917年12月7日[?]  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1918年06月22日: 日刊電報通信

1918年6月22日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)