海軍歩兵第3大隊第7中隊・後備伍長。板東時代の1918年9月、「板東健康保険組合」の第7中隊代表理事に選ばれた。また、丸亀蹴球クラブの役員も務めた。1919年3月26日、「室内楽の夕べ」が開かれてシューベルトの五重奏「鱒」が演奏された。その折りクラーゼンはピアノを担当した。編成はガルスター(Galster)海軍中尉のヴァイオリン、デュムラー(Duemmler)海軍大尉のチェロ、クラインシュミット(Kleinschmidt)予備少尉のヴィオラ、クラーゼン伍長のピアノ、ナスート(Nassuth)砲兵伍長のコントラバスであった。(1857:丸亀→板東)
歌曲の夕べ ピアノ・リュート伴奏による歌曲。朗読。バイオリン・ピアノ・ソナタ (1918年12月29日)
第2回室内楽の夕べのプログラム (1917年02月18日)
「アルト・ハイデルベルク」 (5幕) ウィルヘルム・マイアー=フェルスター作 (1918年10月23日)
ハンス・コッホ氏とヘルマン・クラーゼン氏の誕生日に際して
1919年03月30日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞