人名
|
|
注記 |
雑誌 |
|
クラインシュミット, エーリヒ |
予備役少尉 第6中隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Spielte Bratsche beim Kammermusikabend am 26.03.1919 in Bandō (vgl. „Die Baracke“ Nr. 26 (79) vom 30. März 1919).
Reichte Urlaubsgesuch nach Tientsin ein (s. T.T.B. vom 07.11.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍歩兵第3大隊第6中隊・予備陸軍少尉。板東時代、講習会で中国語の新聞を読むコースを開き、中国語辞典を編んで収容所印刷所から出版した。スポーツの関連では、板東ホッケー協会の理事長を務めた。また1919年3月26日、「室内楽の夕べ」が開かれてシューベルトの五重奏「鱒」が演奏された。その折りクラインシュミットはヴィオラを担当した。他は、ガルスター海軍中尉のヴァイオリン、デュムラー海軍大尉のチェロ、クラーゼン伍長のピアノ、ナスート砲兵伍長のコントラバスという編成であった。 (2958:松山→板東)
雑誌 1919年03月30日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年11月07日: 日刊電報通信
|
|