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板東収容所のバーチャル・ツアー
13. 水晶宮とビリヤード場
水晶宮とそれに隣接しているビリヤード場の建物のある場所には、最初は光線・薬湯浴場「サニタス」が建っていた。ここには浴槽、シャワー、横臥式蒸し風呂、熱風浴、半身浴、全身マッサージ、局所マッサージ、ブラシを使った全身マッサージ、局所熱風浴、などの施設があった。さらに休憩室も設けられてあり、そこのメニューには肉汁スープ、ローストビーフのマヨネーズソースがけとイタリアンサラダ、フィレ肉のビフテキにマヨネーズ入りポテトサラダ、サンドイッチ、といった料理が並んでいた(1)。しかしながらこの浴場は1918年1月28日の火事で焼失してしまった(2)。
その同じ場所に改めて建てられたのが水晶宮とビリヤード場である。水晶宮は、その広告のなかで「当地最高級のレストラン」を自称し、「最高の品質のビールだけを提供」するとしている(3)。残念なことに、どのような食事が供せられていたのかについてこれ以上の情報は、収容所新聞には掲載されていない。
水晶宮の外観 . 鳴門市ドイツ館所蔵の写真:ネガ番号 48-21
ビリヤード場は時間制になっており、1時間単位で入場することができた。1時間あたりの料金は30銭で、夕方以降は照明のための電気代をまかなうという名目で35銭となっていた。ビリヤード台のラシャ(ビリヤード台に張られた布)はしょっちゅう張り替えが必要になった。その場合取り寄せた新しいラシャが届くまで1時間料金が一律10銭の割引になった(4)。このため、「まだ撞くのがそんなにうまくない人」は「新しいラシャがすぐまた撞き破られてしまう危険をなるべく回避するため」、古いラシャの台を使うように要請する広告が『日刊電報通信』に出されている(5)。ビリヤード選手権大会は少なくとも2回開催されているが、この催しは大変な人気で、ある記事にはさながら「板東の東へ「民族移動」」(6)の様相を呈したとある。
ビリヤード場の印象. Muttelsee, Willy, Karl Bähr. 4 1/2 Jahre hinter’m Stacheldraht. Skizzen-Sammlung. Bando: Kriegsgefangenenlager, [1919], o.S.、鳴門市ドイツ館所蔵
ときにはビリヤード場は他の目的に使用されることもあった。ここで小規模な展覧会が行われたことも何度かあったし(7)、1918年の秋にスペイン風邪が流行したときは病棟のベッドが足りなくなったため、バラック第1号棟のほか水晶宮も臨時病室に早変わりし、かつての名前「サニタス」を再び冠して用いられたこともあった(8)。
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