板東収容所のバーチャル・ツアー
16. 音楽堂と士官用カジノ
音楽堂は当初は4方の壁のうち3つの面が開放されたあずまやであった。1917年5月20日、徳島オーケストラの第4回コンサートにおいて献堂された(1)。その後この建物は壁で周囲を囲まれ、さらに大きな増築部分が追加された。以下の写真はその状態を示している。
下の池の畔に建つ音楽堂(増築後). 鳴門市ドイツ館所蔵の写真:ネガ番号 48-21
この増築がいつ行われたかについてはよくわからない。1918年3月の『日刊電報通信』には、すでに士官用カジノについて言及されている(2)。1918年8月に作成された『日本・板東俘虜収容所案内』には、「音楽堂兼士官用カジノ」として登場している(3)。『日刊電報通信』紙上で、カジノのロゴ入りのビールジョッキを返却するようにという要請がなされているところを見ると、カジノでも飲み物が売られていたに違いない(4)。
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