人名
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注記 |
雑誌 |
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クルーク, ベルトラム |
伍長 第7中隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, bei Sammlungen (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 568).
War beteiligt an den Arbeiten für den Gedenkstein im Lager Bandō (s. T.T.B. vom 25.03.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍歩兵第3大隊第7中隊・後備伍長。板東時代、「ドイツ兵墓碑」の建設に際して造園を担当した。また、工芸品展には実に1000点にも及ぶ植物並びに種子の標本採集を出品した。
(1952:丸亀→板東)
雑誌 1919年03月25日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年12月09日: 日刊電報通信
1918年04月30日: 日刊電報通信
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