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板東収容所のバーチャル・ツアー
29. 水濾過装置(パームチット式装置)
1918年7月、ピーツカーとシュタインフェルトという2人の捕虜が、パームチット式の浄水フィルターを設置した()。彼らはこの装置で濾過した飲料水を1リットル2銭で予約販売した。水を入れる容器は各人が持参せねばならなかったが、一本15銭で一升瓶を購入することもできた。1から4リットルまでの一ヶ月有効の定期券もあり、さらに需要に応じて分割して購入できる20リットルまでのクーポン券もあった。飲料水の提供は、原則として予約客にのみ限定されており、それ以外には事情の許す場合のみ、購入が認められた。営業時間は平日が午前7から8時、午後が16時30分から17時30分までで、日曜は午前7時から8時のみとなっていた。ピーツカーとシュタインフェルトは独立の経営をしていたのではなく、ボウリング場の場合と同様、コストを回収したのちの余分な利益は公益のために寄付していた。また第1厨房で濾過水を歯磨き用に無料で提供していた(2)。水濾過装置のある建物はその尖ったピラミッド型の屋根によって容易に見分けられた。
浄水フィルターの建物. 鳴門市ドイツ館所蔵の写真:ネガ番号 38-27
濾過飲料水の販売は大成功を収めた。『ディ・バラッケ』紙にはこうある。「たとえばイオン交換フィルターを設置したら、まさかと思うような人まで水がどうしても飲みたくなってしまうものだ。実際、生水がどれほど飲まれていることか。もちろん渇きをいやすものとしては、板東では非常に安い値段だ。そのために清水業者と人類への福祉者から無料で配られているのだが、おいしいフィルター水での歯磨きさえお楽しみになってしまっている。味気がほとんどない飲み水を大方の人の大きな楽しみにするために、諸戦争を勝ち取り、感謝を勝ち得ているドイツの化学がふたたび敢然と挑戦し、多方面からの強い願望に従って代用レモン水、レモンエッセンス、レモンピピン1,2を提供しいる。」(3)
ここで言う「ドイツ化学」とはおそらく化学実験室を指すのであろう。ここでは事実、レモン味の添加物が売られていた。これらの添加物は、実験室以外に濾過水売り場でも購入することができた(4)。その後さらにダイダイ味とオレンジ味の果実エッセンスも発売された(5)。べつの俘虜ハイルも、オレンジ味を付けたレモネードエッセンスを同じように販売していた(6)。1918年7月末には、濾過飲料水を氷で冷やしたもので味を付けたものは1リットルで10銭、付けてないものは4銭で売りに出された(7)。その一ヶ月後になると、「パームチット」水と呼ばれるようになっていた濾過飲料水に、ついに「軽度のアルコールを」添加したものまで登場し(8)、16銭で売られ始めた。「パームチット」の売れ行きは上々だったに違いない。なぜなら、濾過水を扱う業者の数は2人からやがて5人に増えているからである(9)。1919年4月にはマッロンという捕虜が「パームチット」への添加物として「オレンジジュース」を売りに出した(10)。収容所の新聞に載せられた「パームチット」の広告は数多くある。
浄水の広告. T.T.B. Bd. 7, 16. Juli 1919, No. 91, S. [6]
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