人名
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ジームゼン, ヴィルヘルム

海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, bei Porträt- und Landschaftsmalerei (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 555, 556).
59. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).
War für den Verkauf ausgestellter Bilder bei der Bilderausstellung im Juli 1919 zuständig (s. T.T.B. vom 18.07.1919).
 

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第5中隊・戦時志願兵。
板東公会堂での絵画と工芸品展覧会では、「B 1の顔」で肖像画部門の一等賞を受賞した。【なお、上記フレデリックとヴィルヘルムの二名の出身地は中国・福州となっている。青島に広大な地所を所有し(個人として6個所合計13963㎡、約4200坪、商会所有として6184㎡、約1800坪)、一部を総督府に提供したため、後に日本側により土地・家屋の没収処分を受けたジームセン商会を経営していたアルフレート・ジームセン(Alfred Siemssen)の身内であろうか?(『青島経済事情』27頁以下を参照)ジームセン家はハンブルク有数の貿易商で、1851年ハンザ都市ハンブルクの広東領事に任命された】
(3096:松山→板東)

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14枚の石版画

雑誌 

1919年07月18日: 日刊電報通信

1919年7月18日 第93号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年07月19日: 日刊電報通信

1919年7月19日 第94号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1917年12月09日: 日刊電報通信

1917年12月9日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)