人名
| 注記 | Sportprogramme | 雑誌 |

フライエンハーゲン, ヨハン

1等機関兵曹 第1中隊 膠州海軍砲兵大隊

注記 

28. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).
Einer der Sieger beim Wettturnen im Lager Bandō am 01.06.1919 (s. "Die Baracke" vom Juni 1919, S. 115).
Als Schleswiger frühzeitige Abreise aus dem Lager Bandō am 26.08.1919 (s. T.T.B. vom 22.08.1919).
 

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍膠州派遣砲兵大隊第1中隊・1等機関兵曹。
ヴェルサイユ講和条約締結後の1919年8月26日、出身地の帰属を問う州民投票に参加の為、ヤスペルセン(Jaspersen)、ブロイニンガー(Braeuninger)、ハンゼン(Hansen)、イェプセン(Jepsen)、カルステンス(Carstens)、ニールセン(Nielsen)の6名のシュレースヴィヒ出身者とともに一足先に帰国した。
(2866:松山→板東)

Sportprogramme 

競歩大会 1919年4月15日

雑誌 

1919年08月22日: 日刊電報通信

1919年8月22日 第125号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年6月  (第4巻 1919年4月~9月)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)