人名
| 注記 | Sportprogramme | 雑誌 |

カルステンス, エルンスト

予備役海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

50. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).
Als Schleswiger frühzeitige Abreise aus dem Lager Bandō am 26.08.1919 (s. T.T.B. vom 22.08.1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第6中隊・2等歩兵。
ヴェルサイユ講和条約締結後の1919年8月26日、出身地の帰属を問う州民投票に参加の為、ヤスペルセン(Jaspersen)、ブロイニンガー(Braeuninger)、フライエンハーゲン(Freyenhagen)、ハンゼン(Hansen)、イェプセン(Jepsen)、ニールセン(Nielsen)の6名のシュレースヴィヒ出身者とともに一足先に帰国した。
(2822:松山→板東)

Sportprogramme 

競歩大会 1919年4月15日

雑誌 

1919年08月22日: 日刊電報通信

1919年8月22日 第125号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)