人名
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雑誌 |
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ライポルト, エドアルド |
1等砲兵 第4中隊 膠州海軍砲兵大隊 |
注記
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
1892-1978 海軍膠州派遣砲兵大隊第4中隊・1等砲兵。 日本への移送当時カメラを所持していて、後に板東収容所の様子などを数多くフィルムに納め、そのアルバム帖を鳴門市ドイツ館に寄贈した。徳島時代の1916年10月、徳島市の円藤鉄工所に鋳造・ダライバンの労役に、バール、ベーマー、フィッシャー、グレックナー、ヘフト、マイエの7名で派遣された。1日約8時間、賃金・期間不明。大戦終結後は郷里ザクセンのコーブルクの機械工場に勤めた。 1934年、郷里出身の戦友15人に呼びかけて、「バンドーを偲ぶ会」を結成した。この呼びかけには、バイエルン州やヘッセン州在住の元俘虜も参加し、80人を超える会に発展した。やがてパウル・クライ(Kley)やヘルマン・ヴァルター(Walter)を幹事とする「バンドー会」として、フランクフルトで毎年定期的に会合を開くまでに至った。 1970年に開催された大阪万博の折り来日し、パウル・クライ氏と一緒に板東を再訪した。1972年鳴門市にドイツ館が完成するとアルバム帖を寄贈した。当時、西ドイツのコーブルク市(出身地)に住んだ。インタヴューに応じて、俘虜時代に関する多くの談話を残した。 (4226:大阪→徳島→板東)
雑誌 1919年06月22日: 日刊電報通信
1919年06月25日: 日刊電報通信
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