演劇

劇所での作法

 
 

1918年7月のシェイクスピア『じゃじゃ馬ならし』上演に先立ち、『ディ・バラッケ』紙上で「演劇鑑賞者のためのきまり」が提案された。上演中の様子が伝わってくる。
「今回の公演を機に、いくつかの古い、これまで印刷されたことはなかったにもかかわらず守られてきた演劇鑑賞のためのきまりを、もう一度思い出してもらうことは当を得たことであろう。

  1. 原則として遅れてくること。そうすれば他の者から席をずれるように促さたり、押しのけられたりすることもなく、しかも大学時間の実践的適用といったことによって、自らの教養を最大限に証明することができるからでる。
  2. 50銭の出し物に行くとなら、遠慮なく大型安楽寝椅子を持って行くこと。あなたが来てくれることで栄誉と支援を受ける劇場の面々は、きっとそれに対しては少しもとやかく言うことはないだろう。それくらいのことは、あなたの払ったお金と引き変えに所望しても構わない。
  3. だがあなたが10銭の出し物に行くなら、少なくても何枚かの座布団か毛布を低く固い長椅子の上に敷くこと。そしないと、あなたの後ろの人はあなたの頭越しにもしかするとあなたよりももっとよく見えるかもしれない。彼はあなたより多く金を払ったわけではないのに、そうなってしまうことになる。
  4. 舞台上の動きを右から左へ、左から右へといった具合に、同じような頭の動きで追うこと。この動きは、後ろの人々にも早速伝わって行く。というのは、彼らもまた見たいからだ。
  5. 煙突のように煙草を吸うこと。それが俳優たちの肺には良くないことは、誰もが先刻ご承知だし、またそう書かれているのを 四六時中読んでいるはずだから。こうした要望を無視することよってのみ、あなたは真の勇気を証明できる。嫌な奴は出て行けばよい、劇場は非喫煙者のためだけにあるのじゃないのだから。
  6. ジョークに際しては、人より先に笑い始めることにより、あなたの文学的知識を示すこと。またあなたのユーモア感覚を、何分間もげらげら笑い続けることによって示すこと。
  7. 知っているメロディーが演奏されたり歌われたりするときには多かれ少なかれ低い声でー緒に歌うか、うなること。そうすれば、高度に音楽的な戦争俘虜収容所での数年間にわたる滞在が、あなたに何の痕跡も残さなかったわけではないことを、少なくとも皆に認めさせることができるであろう。
  8. 出し物の終わりを知っているか、もうすぐ終わるとわかったなら、幕が下がるまで、待たず、すばやく自分の持ち物をまとめ昔より早く外に出られるようにすること。「時は金なり」だから。」(1)

これらの規則が全て真剣に受け止められていたわけではなく、またこうした振る舞いが同僚たちの称賛を常に得ていたわけでもないことは、1919年2月の『エグモント』上演についての『ディ・バラッケ』の講評が示している。「開幕の音楽が始まる前にホールの入り口は閉められるが、にもかかわらず知ってのとおり、時間を守らないのがくせの連中が何人か、当たり前のように遅れてきた。いつも同じ連中だ。作品の終わりの勝利のシンフォニーが観客をエスコートするとされていたにもかかわらず、何人かが音楽に合わせて早く出て行くことが、できなかった。兵士はまさに一人の人間であり、ロボットではない。それに、そうしたいからと言って、何本かのビールを劇場に持ち込んだり、葉巻に火をつたりしてはいけないのであれば、個人の自由をくどくどと述べ立てて一体何になろう。 エグモントのあの感動的な最後の言葉や音楽に耳をすましている仲間が、あちこちで点けられるマッチによって気分を乱されるかどうかを、無視して。」(2)

俳優たちも禁煙を必ずしも守っていなかったのは、「書割の裏側」のスケッチから見てとれる通りである。

 

「書割の裏側」. Muttelsee, Willy. Karl Bähr. Nachtrag zu 4 1/2 Jahre hinterm Stacheldraht. Bando: Kriegsgefangenenlager, 1919, o.S.,鳴門市ドイツ館所蔵

 
 

(1) 『ディ・バラッケ』第2巻第13(39)号1918年6月23日p.251-252
(2) 『ディ・バラッケ』第3巻第21(74)号1919年2月23日p.330-331