人名
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注記 |
雑誌 |
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ブラント, フリードリッヒ |
1等水兵 参謀本部 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, bei Metallarbeiten und Musikinstrumenten (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 565).
Einer der Gewinner beim Frühjahrs-Tenniswettspiel 1918 im Lager Bandō (s. "Die Baracke" No. 11 (37) vom 9. Juni 1918).
Reichte Urlaubsgesuch nach Shanghai ein (s. T.T.B. vom 07.11.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍歩兵第3大隊参謀本部・1水兵。
板東時代、工芸品展に自動珈琲沸かし機を、またシュルツ(Schulz)と共同で楽器のチェロを制作・出品した。板東ホッケー協会のチームのメンバーだった。
(2817:松山→板東)
雑誌 1919年11月07日: 日刊電報通信
1918年06月09日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年10月03日: 日刊電報通信
1917年10月08日: 日刊電報通信
1917年10月15日: 日刊電報通信
1918年10月04日: 日刊電報通信
1918年10月10日: 日刊電報通信
1918年10月15日: 日刊電報通信
1918年10月19日: 日刊電報通信
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