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演劇
1919年4月~6月の上演の批評
| 1919年5月21日(再上演3回):人形劇『ファウスト博士』
| 1919年6月28日(再上演3回):ヘンリク・イプセン『社会の柱石』
演出:C.レーチュ、C.ゲシュケ(1)
人形劇は「通常の」演劇公演に比べて小数の支持者しかつかなったが、それでもマリオネット劇の2度目の開催は『ディ・バラッケ』紙上で非常に歓迎された。「他の演劇公演の来場者数に比べれば、人形劇に関心を持つ人々の輪は小さいが、それだけに彼らは人形劇を演出する人々に対して感謝の念を一層強く持っている。1.5m幅の穴を開けて作られた小さな舞台上で舞台監督たちがこのたび我々に届けてくれた作品は、風変わりな思考の数々に我々をいざなう、おなじみの人形劇『ファウスト博士』である。数ヶ月前から彼らは人形と舞台美術の製作に取り掛かってきた。松山ですでに注目すべき円熟の域に達していた人形の動きは、さらに磨きをかけられた。個々の人形の動きを、操り手とは別の人間によって同時に話される言葉に合わせる技術が、練習によって非常に高められていた。そのため、人形の小さな口がみずから動いて言葉を発しているような気が本当にしてくることもあるほどであった。声優たちの多くは我々にとって劇俳優としてもお馴染みの者たちだったので、「人形使い」は、声優たちの個人的な特徴を、役柄を演じる人形の動きの中で再現することに大変うまく成功した。そうして、観客はそれが人形劇であることを忘れ、あの人やこの人といった同志たちの姿を舞台の上に見ているような気分にさせられるのだった。この作品には技術的に困難な個所がいくつものあるが、それらは全て鮮やかに、時には驚くべき方法で克服されていた。35cmから40cmの大変な数の人形たち、そしてそれらの容姿や顔つき、服装による性格の描き分けだけでも、人形作家に創作の才と技能を要求する。しかし我々をもっともうならせたのは、この作品がときおり要求する細かい曲芸的な技術である。以下に例を挙げよう。学生が机の上に置いて後で道化役が中を読むことになるあの本、締結された契約書をくちばしにはさんで運ぶカラス、道化役が夜警として巡回する時に手にするランタン、そしてパルマの公爵の宮廷に出現する幽霊たちなどだ。」(2)
人形劇『ファウスト博士』の一場面 . Pörzgen, Hermann. Theater ohne Frau. Das Bühnenleben der kriegsgefangenen Deutschen 1914-1920. Königsberg: Ost-Europa-Verlag, 1933, Abb. 27
演出:R.ゴルトシュミット(3)
残念ながら『ディ・バラッケ』の批評からはこの公演に関して多くは知ることができない。批評者が主に書いているのはイプセン作品の内容についてだからだ。ただ、上演グループが「以前の様々な劇団」(4)からの混成であること、上演準備が時間的な圧迫のなかで行われざるを得なかったことなどが書かれている。「外的な状況により」-おそらくこれは、当時ずっと期待されていたドイツへの帰還のことを指すと思われる-「劇団の舞台監督は残念ながら練習を急がせる必要に迫られた」(5)。しかしこう続けられる。「わずか数週間の準備期間による成果には、驚くべきものがあった。」(6)
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