人名
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注記 |
雑誌 |
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ドライフース, アートゥル |
海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Wurde im Rahmen der Entlassung der Elsaß-Lothringer im Juli 1919 entlassen (s. T.T.B. vom 25.07.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍歩兵第3大隊第6中隊・2等歩兵。
松山時代、公会堂での収容所講習会でフランス語の講師を務め、板東では収容所内のタパタオに設けられたボーリング場の支配人を務めた。シュトラースブルクの出身であったことから、ヴェルサイユ講和条約締結後に宣誓解放された。フランス名ドレフュス。
(2829:松山→板東→習志野)
雑誌 1919年07月25日: 日刊電報通信
1917年05月24日: 日刊電報通信
1917年09月04日: 日刊電報通信
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