人名
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注記 |
雑誌 |
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ヘフト, マックス |
1等砲兵 第3中隊 膠州海軍砲兵大隊 |
注記
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, bei Metallarbeiten (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 565).
Wurde im Rahmen der Entlassung der Elsaß-Lothringer im Juli 1919 entlassen (s. T.T.B. vom 25.07.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍膠州派遣砲兵大隊第3中隊・1等砲兵。
徳島時代の1916年10月、バール、ベーマー、フィッシャー、グレックナー、ライポルト、マイエの7名で徳島市の円藤鉄工所に鋳物等の労役で派遣された。1日8時間、賃金・期間は不明。
(4170:大阪→徳島→板東)
雑誌 1919年07月25日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
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