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人名
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ボーナー, ヘルマン |
海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Vortrag über „Minna von Barnhelm“ am 4. November 1917, über die „Glocke“ am 10. November 1917 (vgl. „Die Baracke“ No. 10 vom 2. Dezember 1917). Vorträge über „Deutsche Geschichte und Kunst“ am 5., 8., 16. und 19.12.1917 (vgl. „Die Baracke“ No. 15 vom 6. Januar 1918).
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, Schiedsrichter der Abteilung "Bildkunst" (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 553).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
1884-1963 海軍歩兵第3大隊第6中隊・2歩兵。 [宣教師]。 アフリカ黄金海岸アボコビ(現ガーナ)に生まれた。父親は当地の福音教会牧師を勤めていた。シュパイエルのギムナジウム時代、〈ワンダーフォーゲル〉の指導者カール・フィッシャー(Fischer)のあとについてシュヴァルツヴァルト、エールツゲビルゲ等の山歩きをした。テュービンゲン大学で神学と哲学(1903-07)、シュトラースブルク大学でヘブライ学を学び(1911)、1914年にエルランゲン大学で哲学博士の学位取得後4月、「統合福音派海外伝道教会」(AEPM)の派遣教師として青島に赴き、長年密かに尊敬していたリヒャルト・ヴィルヘルムの下で教育活動に入った。 大戦勃発とともに応召し、上記第6中隊に配属された。戦闘中、「青島最初の砲撃」や「歩哨」と題する詩を作った。やがて先輩牧師W. ゾイフェルト(Seufert)と共に俘虜として日本に送られた。 板東時代、収容所印刷所から『絵画についての対話』を出した。1918年6月1日、板東収容所においてベートーヴェンの「第九交響曲」が日本国内で初演された際に、「ベートーヴェン、シラー、ゲーテ 第九交響曲に添えて」の講演を行った。また「ドイツの歴史と芸術」の連続講義を33に亘って行うなど多種多彩な数多くの講演を行った。 大戦終結後青島に戻り、ヴィルヘルムの精神を継承して活動した後に再び日本に戻って、大阪外国語学校講師(1922-1951)、教授(1951-1963.6.24)を歴任した。『神皇正統記』、『聖徳太子』、『能作書』等数多くの著作を残した。ヴィルヘルム夫人ザロメの妹ハンナ・ブルームハルト(1883-1971)と結婚し終生日本に住んだ。弟二人も来日し、ゴットロープは高知高等学校、アルフレートは松山高等学校のドイツ語教師を勤めた。 1963年6月24日永眠した。神戸再度山の墓地には教え子達が建てた墓碑がある。 (2794:松山→板東)
雑誌 1919年06月21日: 日刊電報通信
1917年12月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年01月06日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年02月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年03月03日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年04月14日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年05月05日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年06月16日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年01月01日: 日刊電報通信
1919年01月27日: 日刊電報通信
1919年05月03日: 日刊電報通信
1919年05月14日: 日刊電報通信
1919年05月22日: 日刊電報通信
1919年07月06日: 日刊電報通信
1919年08月26日: 日刊電報通信
1919年10月05日: 日刊電報通信
1919年10月24日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年11月02日: 日刊電報通信
1917年12月01日: 日刊電報通信
1917年12月05日: 日刊電報通信
1917年12月08日: 日刊電報通信
1917年12月14日: 日刊電報通信
1917年12月19日: 日刊電報通信
1917年12月26日: 日刊電報通信
1918年01月05日: 日刊電報通信
1918年01月12日: 日刊電報通信
1918年01月19日: 日刊電報通信
1918年01月26日: 日刊電報通信
1918年02月02日: 日刊電報通信
1918年02月09日: 日刊電報通信
1918年02月16日: 日刊電報通信
1918年02月23日: 日刊電報通信
1918年03月02日: 日刊電報通信
1918年03月10日: 日刊電報通信
1918年03月16日: 日刊電報通信
1918年03月22日: 日刊電報通信
1918年03月30日: 日刊電報通信
1918年04月10日: 日刊電報通信
1918年04月13日: 日刊電報通信
1918年04月20日: 日刊電報通信
1918年04月27日: 日刊電報通信
1918年05月04日: 日刊電報通信
1918年05月12日: 日刊電報通信
1918年05月15日: 日刊電報通信
1918年05月30日: 日刊電報通信
1918年08月24日: 日刊電報通信
1918年10月09日: 日刊電報通信
1918年10月24日: 日刊電報通信
1918年11月07日: 日刊電報通信
1918年11月19日: 日刊電報通信
1918年11月28日: 日刊電報通信
1918年12月19日: 日刊電報通信
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