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人名
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注記 |
雑誌 |
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ゴルトシュミット, リヒァルト |
予備役副曹長 第5中隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
『ディ・バラッケ』第1巻の編集。坂東収容所での劇団の団長。
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍歩兵第3大隊第5中隊・予備副曹長。 松山時代の1915年12月、所持金検査で預金額5000円の松山市52銀行の通帳所持が判明した。故国の親から6000円の送金を受け、内1000円は既に使い果たしていた。マルティーン(Martin)中尉及びゾルガー(Solger)予備少尉とともに『陣営の火』の編集に当たった。板東では『バラッケ』編集部員となるが後に退任した。「板東保険組合」の幹事役をアルバース(Albers)と共に務め、1918年9月には新たに第5中隊代表理事に選ばれた。1919年6月28日には、イプセン作『社会の柱石』上演に際しては演出を担当した。 (2871:松山→板東)
雑誌 1917年09月30日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年01月06日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年02月03日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年02月24日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年02月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年02月16日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年02月16日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年01月03日: 日刊電報通信
1919年01月22日: 日刊電報通信
1919年02月06日: 日刊電報通信
1919年07月22日: 日刊電報通信
1919年10月04日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年10月03日: 日刊電報通信
1917年10月06日: 日刊電報通信
1917年10月08日: 日刊電報通信
1917年10月15日: 日刊電報通信
日刊電報通信
1918年02月14日: 日刊電報通信
1918年02月15日: 日刊電報通信
1918年03月27日: 日刊電報通信
1918年06月08日: 日刊電報通信
1918年08月24日: 日刊電報通信
1918年09月02日: 日刊電報通信
1918年09月07日: 日刊電報通信
1918年09月29日: 日刊電報通信
1918年10月04日: 日刊電報通信
1918年10月08日: 日刊電報通信
1918年10月09日: 日刊電報通信
1918年10月10日: 日刊電報通信
1918年10月13日: 日刊電報通信
1918年10月15日: 日刊電報通信
1918年10月26日: 日刊電報通信
1918年11月18日: 日刊電報通信
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