Verpflegung

ボウリング場付属食堂

 
 

商店街であるタパウタウ地区に設置されたボウリング場には、食堂が付属していたが、その経営者は『日刊電報通信』を見る限り、頻繁に交代していたようである(1)。付属食堂は9時から21時まで、温かい料理や軽い食事などを提供していた(2)。1918年10月からは営業時間が午後10時までに延長され(3)、1917年8月末からは樽入りの生ビールが出てくるようになった(4)。『日刊電報通信』に掲載された広告から、どのような料理が提供されていたのかがわかる。

  • カッセル風骨付き豚バラ肉、バイエルン風キャベツ、塩ゆでジャガイモ(5)
  • 野菜、ニシンのマリネ「ビスマルク」(6)
  • マレンゴ風家鴨のトマト煮込み、4分の1羽が55銭(7)
  • 舌のフリカッセ(細切り肉の白ソース煮込み)、アスパラガス添え(8)

 
 
 
 

(1) たとえばT.T.B. Bd. 5, 11. September 1918, S. 3; T.T.B. Bd. 5, 8. November 1918, S. [4]
(2) T.T.B. Bd. 3, 26. Januar 1918, S. [4]
(3) T.T.B. Bd. 5, 4. Oktober 1918, S. 2
(4) T.T.B. Bd. 1, 28. August 1917, S. 3
(5) T.T.B. Bd. 2, 9. Dezember 1917, S. [6]
(6) T.T.B. Bd. 3, 26. Januar 1918, S. [4]
(7) T.T.B. Bd. 8, 19. September 1919, No. 149, S. [3]
(8) T.T.B. Bd. 8, 23. September 1919, No. 153, S. 4