Verpflegung

士官用カジノ

 
 
 

下の池の畔の士官用カジノは、以前からここにあった音楽練習用の東屋を壁で囲い、建て増しして作られた。この増築がいつ行われたかについてはよくわからない。1918年3月の『日刊電報通信』には、すでに士官用カジノについて言及されている(1)。1918年8月に作成された『日本・板東俘虜収容所案内』には、「音楽堂兼士官用カジノ」として登場している(2)。『日刊電報通信』紙上で、カジノのロゴ入りのビールジョッキを返却するようにという要請がなされているところを見ると、カジノでも飲み物が売られていたに違いない(3)

 
 

下の池の畔に建つ音楽堂(増築後). 鳴門市ドイツ館所蔵の写真:ネガ番号 48-21

 
 
 

(1) T.T.B. Bd. 3, 1. März 1918, S. [4], T.T.B. Bd. 3, 2. März 1918, S. [1]
(2) Fremdenführer durch das Kriegsgefangenenlager Bando, Japan. 1918, S. 13
(3) T.T.B. Bd. 8, 6. September 1919, No. 139, S. 1