収容所

習志野


| 本、講義のテキスト | 演奏会 | 運動会 | 写真 | 葉書・手紙・封筒 | 収容所についてさらに詳しい情報 |

概要

収容のタイプ新築バラッケ(兵舎)
開設大正4年(1915)9月7日
閉鎖大正9年(1920)4月1日
俘虜数数 東京収容所(約310名)より移転。後に静岡・大分収容所と統合。さらに久留米・福岡収容所からの移送をもって900名以上に増加した
 
「大正三四年戦役 俘虜写真帖」Vues photographiques concernans les prisonniers de guerre au Japon (Campagne de 1914-196). 東京:俘虜情報局、Bureau Impérial de Renseignements sur les Prisonniers de Guerre, 1918. 鳴門市ドイツ館所蔵、ネガティブ27-5号

本、講義のテキスト 

グーラッシュ ビール・ツァイトゥング[滑稽新聞] 収容所オーケストラと合唱団の送別会に際して

演奏会 

H.ミリエスのコンサート フォン・ヴェーデル少佐、ハイメンダール海軍少尉、A.ヴェルダー氏共演 ()

アルフォンス・ヴェルダー男性合唱団指揮者のための義援コンサート ()

運動会 

運動会 習志野俘虜収容所 日本 1919年5月

写真 

[習志野:収容所の様々な光景]

[習志野:スポーツの写真]

葉書・手紙・封筒 

習志野俘虜収容所のフーゴー・ラングートから、在ザクセンドルフのヒルダ・ラングートに宛てた手紙の封筒。消印は判読不能

習志野俘虜収容所のヨ[ハン]・シュレーダから、H. アーレンスと横浜の会社に宛てた手紙の封筒。日付は1916年5月31日

習志野俘虜収容所のクラウス・リューラーから、在シュターデのヨハン・ベーシュに宛てたはがき。日付は1917年5月12日、消印は1917年5月23日

在フランクフルト・アム・マインのB. ベーガースハウゼンから、習志野俘虜収容所のカール・ベーガースハウゼンに宛てた絵はがき(写真と文:「デート」)。日付は1917年9月6日

習志野俘虜収容所から、在横浜のシュミット夫妻に宛てた絵はがき(写真:「四ツ谷見附[!]、東京」)。日付は1918年3月21日

習志野俘虜収容所のカール・ベーゲルスハウゼンに宛てた絵はがき(挿絵:「標高881mのタウヌスのグロッセンベルクより、旅行者からの挨拶」)。消印は1918年8月7日ヴェーアハイム

習志野俘虜収容所から、在エアフルトのマルタ・シュタッペンベックに宛てた絵はがき(風景画:「京橋区の銀座大通り」(東京の風景))。日付は1919年8月10日

収容所についてさらに詳しい情報 

日本語:

ドイツ語:
  • Die Verteidiger von Tsingtau und ihre Gefangenschaft in Japan (1914 bis 1920). Historisch-biographisches Projekt von Hans-Joachim Schmidt. Menüpunkt: Gefangenschaft > Gefangenenlager
    http://www.tsingtau.info/
  • Klein, Ulrike. Deutsche Kriegsgefangene in japanischem Gewahrsam 1914-1920. Ein Sonderfall. Freiburg, 1993, S. 48-84