人名
| 注記 | 雑誌 |

ハンゼン, ハンス

1等砲兵 第5中隊 膠州海軍砲兵大隊

注記 

Sollte Anfang August 1918 vom Lager Kurume ins Lager Bandō verlegt werden (s. T.T.B. vom 10.07.1918).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍膠州砲兵隊第5中隊・1等砲兵。
1894年9月11日、下記ヘルマン・リヒャルト(Hermann Richard)の弟としてフレンスブルクに生まれた。兄へルマン同様に音楽学校に通い、1913年フレンスブルクに戻った。その年の4月1日、フレンスブルクの歩兵第86連隊に2年志願兵として入隊した。兄同様に軍楽隊所属と思われる。日本で収容される際に何故かハンスは、郷里としてゾンダーブルク(Sonderburg)と申告している。ヴェルサイユ講和条約締結後の1919年8月26日、出身地の帰属を問う州民投票に参加の為、ヤスペルセン(Jaspersen)、フライエンハーゲン(Freyenhagen)、兄へルマン・ハンゼン、イェプセン(Jepsen)、カルステンス(Carstens)、ニールセン(Nielsen)の7名のシュレースヴィヒ出身者とともに一足先に帰国した。大戦終結して帰国後、ハンスは音楽家になったと思われる。20年代の半ばに故郷を出て、1927年には夫婦でサンフランシスコに住んだ。1939年以降及び第二次大戦後には再び郷里フレンスブルクに戻った【下記ハンス・ハンゼンの項を参照】。フレンスブルク出身。
(1103:福岡→久留米→板東)

雑誌 

1918年07月10日: 日刊電報通信

1918年7月10日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)