注記
Leiter eines Sängerchores, Konzert mit Tokuschimaer Orchester und Sängerchor Janssen am 28.08.1917 ("Die Baracke Bd. I, No. 10, Lagerchronik).
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, fungierte als Dolmetscher (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 579).
S.a. Konzertprogramm E 3-23: Vize-Wachtmeister d.L.
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍東亜分遣隊・後備副曹長。
〔第8a砲台〕。フィードリヒ(Fydrich)砲兵曹長から引き継いで第8a砲台の指揮を執った。
(4322:大阪→徳島→板東)
演奏会 のプログラム 合唱の夕べ W.ヴェルナー指揮 (1918年01月13日) エンゲル・オーケストラのソロ・コンサート 1918年1月19日 7時 (1919年01月19日) エンゲル・オーケストラ 第15回演奏会 指揮者:ヴェルナー 後備副曹長 ソリスト:P.エンゲル海軍2等歩兵 (1919年05月18日) 第33回MAKオーケストラ(弦楽オーケストラ)演奏会 指揮者:ヴェルナー 後備副曹長 (1919年09月21日) MAKオーケストラ・エンゲル・オーケストラ 共演コンサート 指揮者:ヴェルナー 後備副曹長 (1919年11月10日) 雑誌 1917年12月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年01月20日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年02月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年03月01日: 日刊電報通信
1919年05月17日: 日刊電報通信
1919年08月26日: 日刊電報通信
1919年09月20日: 日刊電報通信
1919年10月10日: 日刊電報通信
1919年11月05日: 日刊電報通信
1919年11月06日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1918年01月05日: 日刊電報通信
1918年01月12日: 日刊電報通信
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