Verpflegung
アイスクリームとプディング
ライストは、タパウタウ地区にある彼の小屋3号で毎日コーヒーフロートと3種類のアイスクリームを販売していた。アイスボンベンおよびアイスクリームプレートは、前もって注文する必要があった(1)。1918年7月、彼は原料価格が上がったことを理由に、値上げを告知している。フルーツアイスは10銭に、ミックスアイスは12銭に、バニラとチョコレートアイスは15銭に、それぞれ値上げされた(2)。ライストはこの他に菓子店を営業しており、2度にわたって『日刊電報通信』に広告を載せている。最初は、復活祭用のウサギとタルトケーキの販売と配送についての広告で(3)、2回目の広告は、ケーキの販売についての広告である(4)。
捕虜のミッヘルマンは、各種のプディングを、一部はソース付きでひとつ一人前15銭で売りに出していた。彼が出した広告の例は以下のようである。
イチゴのプディング、バニラソースかけ(5)
チョコレートのプディング、バニラソースかけ(6)
アーモンドのプディング、チョコレートソースかけ(7)
レモンのプディング、イチゴソースかけ(8)
バニラのプディング(9)
グリースプディング(粗びきの小麦から作ったプディング)(10)
1918年12月6日になると、ミッヘルマンは自分ではもうプディングを売るのをやめてしまった。その代わりに、シュラーが日曜日ごとに各バラッケを一周して、卵アイスクリームを売り歩く際にプディングも売るようになった(11)。
グリースプディングの広告. T.T.B. Bd. 7, 28. Mai 1919, No. 72, S. 2
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