葉書・手紙・封筒

Prof. ハルトマンから、福岡俘虜収容所のハンス・カウフフェルトに宛てた手紙の封筒。消印は1916年6月4日ヴリーツェン

Signatur:H 13

ハンコウ[?]から板東俘虜収容所のK. フィッシャーに宛てた手紙の封筒。消印は1918年11月2日

Signatur:H 35

プラウエンから久留米俘虜収容所のエドムント・フィッシャーに宛てたはがき。消印は1916年4月25日グーテンフュルスト

Signatur:H 11

久留米俘虜収容所のエド[ムント]・フィッシャーから、在プラウエンの家族H. フィッシャーに宛てた絵はがき(写真:「久留米駅の大通り」)。消印は1916年12月4日

Signatur:H 22

久留米俘虜収容所のクプフェラーから、名古屋俘虜収容所のマックス・フュールに宛てた絵はがき(風景画:「瀬田の唐橋、近江」)。日付は1916年6月7日

Signatur:H 14

久留米俘虜収容所のヘルマン・フィッシャーから、在プファールキルヒェンの姉レジー・フィッシャーに宛てた絵はがき(風景画:「明石の人丸神社」)。日付は1916年4月4日

Signatur:H 09

久留米俘虜収容所のランゲから、在ケームニッツのアルトゥル・モルゲンシュテルンに宛てた手紙の封筒。消印は1918年8月8日久留米

Signatur:H 33

久留米俘虜収容所のヴァルター・ゾンネから、在カッセルのEd. ゾンネに宛てた絵はがき。日付は1918年3月20日

Signatur:H 29

久留米俘虜収容所のヴァルター・ゾンネから、在カッセルのエドワード・ゾンネに宛てた絵はがき。日付は1919年3月20日

Signatur:H 39

似ノ島俘虜収容所で印刷され、アドルフ・ヴェーバー(同じく似ノ島俘虜収容所)に宛てた絵はがき(印刷された文章:「復活祭おめでとう!」)。消印は1919年7月1日

Signatur:H 42

似ノ島俘虜収容所のカール・ディートリッヒから、在フランクフルトのパウル・レッツに宛てた絵はがき(収容所の有刺鉄線のイラスト)。消印は1919年9月18日

Signatur:H 45

名古屋俘虜収容所のH. クリメックから、青野ヶ原俘虜収容所のH. クレッチュマーに宛てた絵はがき(風景画:名古屋にある「日清戦争」[!]の記念碑)。消印は1916年4月20日

Signatur:H 10

名古屋俘虜収容所のハインリッヒ・ランゲから、在ツィッタウのロベルト・ミュラーに宛てた絵はがき(写真:京都の六角堂)。日付は1916年10月28日

Signatur:H 18

名古屋俘虜収容所のハインリッヒ・ランゲから、在ツィッタウのロベルト・ミュラーに宛てた絵はがき(風景画:「銀座大通り、東京」)消印は1916年3月13日

Signatur:H 08

名古屋俘虜収容所のマックス[フュール]から、在フィンスターヴァルデの家族Rich. フュールに宛てた絵はがき(写真:「近江の八橋」)。日付は1918年3月29日

Signatur:H 31

在グミュンドのM. v. モルトケから、松山俘虜収容所のカール・フィッシャーに宛てた手紙の封筒。消印は1917年10月31日

Signatur:H 27

在チナンフのDr. メルヘルス[?]から、板東俘虜収容所のK. フィッシャーに宛てた手紙の封筒。消印は1918[?]年12月3日

Signatur:H 36

在フランクフルト・アム・マインのB. ベーガースハウゼンから、習志野俘虜収容所のカール・ベーガースハウゼンに宛てた絵はがき(写真と文:「デート」)。日付は1917年9月6日

Signatur:H 26

在ベルリン・エルクナーのヴァルター・フィッシャーから、板東俘虜収容所のカール・フィッシャーに宛てた4枚の手紙の封筒。消印は1919年2月19日

Signatur:H 38

在リューダースドルフのヒルデ・カムメリング[?]から、板東俘虜収容所のカール・ドルッフに宛てた手紙の封筒。消印は1917年11月2日カルトベルゲ

Signatur:H 28

在リューネブルクのG. フィッシャーから、松山俘虜収容所のパウル・フィッシャーに宛てた手紙の封筒。消印は1915年4月21[?]日

Signatur:H 04

在リューネブルクのG. フィッシャーから、板東俘虜収容所のカール・フィッシャーに宛てた手紙の封筒。消印は1919年1月12日

Signatur:H 37

在ヴァルドキルヒェンの「あなたの忠実なフリーダ」から、久留米俘虜収容所のヴァルター[ランゲ?]に宛てた絵はがき(写真:ケームニッツ・ボルナの全景)。日付は1916年12月2日

Signatur:H 21

在ヴァルドキルヒェンの「あなたの忠実なフリーダ」から、久留米俘虜収容所のヴァルター[ランゲ?]に宛てた絵はがき(印刷された文章:「わたしたちに再び平和をもたらしてくれる日がまもなく訪れ、幸福になるでしょう」)。日付は1916年8月23日

Signatur:H 15

在ヴァルドキルヒェンの「あなたの忠実なフリーダ」から、久留米俘虜収容所のヴァルター[ランゲ?]に宛てた絵はがき(文章と挿絵:「戦友のよしみ」)。日付は1916年9月1日

Signatur:H 16

在ヴァルドキルヒェンの「あなたの忠実なフリーダ」から、久留米俘虜収容所のヴァルター・ランゲに宛てた絵はがき(印刷された文:「ヴァルドキルヒェンから挨拶を送ります!」)。日付は1916年11月1日

Signatur:H 20

在横浜のL. テムメに宛てた、収容所郵便局の封筒の写真。消印は大阪俘虜収容所

Signatur:H 03

在武漢のコンラート・グラッツァーから、名古屋俘虜収容所のペルル・ヴィルマーに宛てた絵はがき(風景画:「武漢―丘に建つ仏塔」)。日付は1917年2月24日

Signatur:H 23

大分俘虜収容所のウィルヘルム・グレックナーから、在ヴァイルブルク・ラーンのフリッツ・グレックナーに宛てた絵はがき。日付は1916年5月7日

Signatur:H 55

大阪俘虜収容所のヘルマン・シュトレから、在ゲラ-ウンテルムハウスの家族に宛てた絵はがき(写真:「大阪の梅田駅」)。日付は1916年11月1日

Signatur:H 19

大阪俘虜収容所のペーター・ボルンマンから、青野ヶ原収容所の彼の息子エ[ミール]・ボルンマンに宛てた絵はがき(風景画:「ジグナルベルクとプロテスタント教会、青島」)[消印なし]

Signatur:H 06

天津から姫路俘虜収容所のエーミール・ボルンマンに宛てた絵はがき(絵:「中国の女優たち」)。消印は1915年8月25日

Signatur:H 05

徳島俘虜収容所から「親愛なる兄弟」へ送られた手紙。日付は1915年11月30日

Signatur:H 50

日本の絵はがき(図案:鳥かごを持つ二人の日本人女性)

Signatur:H 01

板東俘虜収容所から「私のただひとりの恋人エルゼ」に宛てた手紙。日付は1918年1月9日

Signatur:H 46

板東俘虜収容所から「私のただひとりの恋人エルゼ」に宛てた検閲済みの手紙。日付は1918年5月6日

Signatur:H 47

板東俘虜収容所のアダム・フリードマンから、久留米俘虜収容所のハンス・シュプリッヒに宛てたはがき。日付は1919年7月8日

Signatur:H 43

板東俘虜収容所のマックス・ノイマンから、在ノイガースオルフのラインホルト・ノイマンに宛てた絵はがき(ある日本人女性の写真)。日付は1917年4月[?]27日

Signatur:H 24

精霊降臨祭の挨拶が予め印刷された板東俘虜収容所印刷所の絵はがき(イラストと文:「私は行けません!」)。1918年板東俘虜収容所

Signatur:H 40

習志野俘虜収容所から、在エアフルトのマルタ・シュタッペンベックに宛てた絵はがき(風景画:「京橋区の銀座大通り」(東京の風景))。日付は1919年8月10日

Signatur:H 44

習志野俘虜収容所から、在横浜のシュミット夫妻に宛てた絵はがき(写真:「四ツ谷見附[!]、東京」)。日付は1918年3月21日

Signatur:H 30

習志野俘虜収容所のエルンスト・フィッシャーから、在青島のアニ・フィッシャーに宛てた手紙の封筒。1919年6月26日消印

Signatur:H 41

習志野俘虜収容所のカール・ベーゲルスハウゼンに宛てた絵はがき(挿絵:「標高881mのタウヌスのグロッセンベルクより、旅行者からの挨拶」)。消印は1918年8月7日ヴェーアハイム

Signatur:H 32

習志野俘虜収容所のクラウス・リューラーから、在シュターデのヨハン・ベーシュに宛てたはがき。日付は1917年5月12日、消印は1917年5月23日

Signatur:H 25

習志野俘虜収容所のフーゴー・ラングートから、在ザクセンドルフのヒルダ・ラングートに宛てた手紙の封筒。消印は判読不能

Signatur:H 02

習志野俘虜収容所のヨ[ハン]・シュレーダから、H. アーレンスと横浜の会社に宛てた手紙の封筒。日付は1916年5月31日

Signatur:H 12

青野ヶ原俘虜収容所から、フリッツ・ブラットナー(24. I.D.,ドイツ)に宛てた絵はがき(写真:神戸の運動場)。消印は1916年2月23日

Signatur:H 07

青野ヶ原俘虜収容所から、在ヴルツェンのマリー・ブラットナーに宛てた絵はがき(風景画:「東京、赤坂の弁慶橋の桜」)。日付は1918年8月18日

Signatur:H 34

青野ヶ原俘虜収容所のマックス・シリングから、在ゴータのオットー・ゴットシャルクに宛てた絵はがき(横浜の風景)。日付は1916年9月20日

Signatur:H 17