人名
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ミリエス, ハンス

軍楽兵曹 第5中隊 膠州海軍砲兵大隊

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

(1883-1957):海軍膠州派遣砲兵大隊第5中隊・後備2等軍楽手。ベルリンに生まれた 。ベルリンでヴァイオリンをヨーゼフ・ヨアヒムに学んだ後、上海共同租界オーケストラのコンサートマスター兼副指揮者に就いた。パウル・エンゲルはその楽団員であった。1914年12月15日、在上海総領事から外務大臣宛に、上海租界の代表から、指揮者ミリエスとその楽団員であるエンゲル、ガーライス及びプレフェナーは非戦闘員なので解放せよとの申し入れがあったが、軍籍があることから不許可になった。習志野時代の1917年10月31日、ユーバーシャール(Ueberschaar)との共同で「宗教改革400年記念の夕べ」を主催した。二部構成の音楽会と言えるもであるが、合間に「1517年から1917年のドイツ人」の題のユーバーシャールによる講演もあった。「ミリエス楽団」を結成し、1919年3月9日には「ハンス・ミリエス・コンサート」を開いた。演奏曲目は、ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲』(ピアノ伴奏:ハイメンダール少尉)、サン・サーンス『序奏とロンド・カプリチオーソ』(ピアノ伴奏:アルフォンス・ヴェルダー2等歩兵)、シューマン『トロイメライ』、シューベルト『アヴェ・マリア』、サラサーテ『チゴイネルヴァイゼン』(以上のピアノ伴奏:ヴェーデル(Wedel)少佐)であった。宣誓解放されての帰国後、キールやリューベックの交響楽団でコンサートマスターを務めたが、リューベックでは若き日のフルトヴェングラーの下でも活動した。1925年音楽学校を設立し、1933年には州立音楽学校の校長となった。リューベックに没した。【この項は、息子のハンス・ミリエス氏(父親と同名)から直接情報を得た坂本永氏(習志野市教育委員会)からの教示による】(1335:福岡→習志野)

演奏会 のプログラム 

H.ミリエスのコンサート フォン・ヴェーデル少佐、ハイメンダール海軍少尉、A.ヴェルダー氏共演 (1919年03月09日)