人名
| 注記 | 雑誌 |

ヤスペルゼン, ユリウス

少尉 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

War Bücherwart im Lager Bandō (s. T.T.B. vom 17.05.1918).
Als Schleswiger frühzeitige Abreise aus dem Lager Bandō am 26.08.1919 (s. T.T.B. vom 22.08.1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第6中隊・後備陸軍少尉。
〔湛山堡塁〕。
ヴェルサイユ講和条約締結後の1919年8月26日、出身地の帰属を問う州民投票に参加の為、ブロイニンゲル(Braeuninger)、フライエンハーゲン(Freyenhagen)、ハンゼン(Hansen)、イェプセン(Jepsen)、カルステンス(Carstens)、ニールゼン(Nielsen)の6名のシュレースヴィヒ出身者とともに一足先に帰国した。ドイツ北部シュレースヴィヒ・ホルシュタインのハーデルスレーベン(後にデンマーク領ハーデルスレーフ)出身。『中国におけるあるドイツ人商人の仕事と冒険』(Do Mau.Arbeit und Abenteuer eines deutschen Chinakaufmanns,Leipzig,Verlag E.A.Seemann,1936)の著書がある。
(2937:松山→板東)

雑誌 

1919年04月14日: 日刊電報通信

1919年4月14日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年08月22日: 日刊電報通信

1919年8月22日 第125号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1917年06月13日: 日刊電報通信

1917年6月13日  (第1巻 1917年4月18日~1917年8月31日)

1917年07月06日: 日刊電報通信

1917年7月6日  (第1巻 1917年4月18日~1917年8月31日)

1917年12月09日: 日刊電報通信

1917年12月9日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1918年05月17日: 日刊電報通信

1918年5月17日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年06月17日: 日刊電報通信

1918年6月17日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)