人名
| 注記 | Sportprogramme | 雑誌 |

ムッテルゼー, ヴィルヘルム

海軍歩兵隊卒 第4中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wurde am 7. August 1918 vom Lager Kurume ins Lager Bandō verlegt (s. T.T.B. vom 27.07.1918).
82. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).
Zeichner der Skizzen-Sammlung "4 1/2 Jahr hinterm Stacheldracht", die mit Reimen von Karl Bähr versehen ist (s. T.T.B. 07.06.1919, No. 51).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第4中隊・2等歩兵。
9月28日、浮山で日本軍に投降して俘虜となり、久留米収容所に送られた。1918年8月7日板東に移送された。詩画集『鉄条網の中の四年半』のスケッチを担当し、またヒュルゼニッツ(Hulsenitz)と共同で『1920年用故郷カレンダー』を制作した。
(611:久留米→板東)

Sportprogramme 

競歩大会 1919年4月15日

雑誌 

1919年06月07日: 日刊電報通信

1919年6月7日 第51号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年05月19日: 日刊電報通信

1919年5月19日 第32号  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年05月27日: 日刊電報通信

1919年5月27日 第40号  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年08月25日: 日刊電報通信

1919年8月25日 第127号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年09月25日: 日刊電報通信

1919年9月25日 第155号  (第8巻 vol.3 1919年9月1日~1919年11月29日)

1919年10月23日: 日刊電報通信

1919年10月23日 第180号  (第8巻 vol.3 1919年9月1日~1919年11月29日)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)

1918年07月27日: 日刊電報通信

1918年7月27日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)