人名
| 注記 | Sportprogramme | 雑誌 |

シュタイル, アルヴィン

海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

84. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

第3海兵大隊第6中隊・2等歩兵。
[独亜銀行香港支店]。松山時代の1915年3月15日、シュタイルは両親に宛てて手紙を書いたが、規定の書き方に反したことで、本人に通知されることなく検閲官に没収された。【久留米収容所及び松山収容所では、郵便を出す際にその書き方に厳しい規定を設けた。線をきちんと引いてその上に文字を書かせるようにしたのである。検閲しやすいようにとの考えからと思われる。因みにその手紙には、上海のドイツ人クラブが松山の俘虜達のために、その蔵書の一部を送ったことが記されてある。手紙は今日、コーブレンツの連邦資料館に保存されている。クライン『日本に強制収容されたドイツ人俘虜』134頁及び179頁】ライン河畔のアルトリップ出身。
(3105:松山→板東)

Sportprogramme 

競歩大会 1919年4月15日

雑誌 

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)

1918年10月04日: 日刊電報通信

1918年10月4日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)

1918年10月09日: 日刊電報通信

1918年10月9日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)