人名
| 注記 | 雑誌 |

シュトラウス, モイ

予備役海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, fungierte als Dolmetscher (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 579).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第6中隊・2等歩兵。
妻は日本人女性でミサオという名であった。【『日本人とドイツ人』59頁】
(3117:松山→板東)

雑誌 

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1918年05月23日: 日刊電報通信

1918年5月23日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年06月22日: 日刊電報通信

1918年6月22日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年10月13日: 日刊電報通信

1918年10月13日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)