人名
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シュテッヒャー, (ゲオルク)ヴァルター

大尉 野戦砲兵隊長 海軍歩兵第3大隊

注記 

Hielt im Oktober 1917 Vorträge über „Tsingtau in japanischer Auffassung (vgl. „Die Baracke“ No. 10 vom 2. Dezember 1917).
Veranstalter der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 545).
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, bei "Kopien in Schwarz/Weiß" (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 558).
Reichte Urlaubsgesuch nach Shanghai ein (s. T.T.B. vom 07.11.1919).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍野戦砲兵隊長・陸軍砲兵大尉。〔外方陣地左翼陣地指揮官〕。ドレスデンで生まれた。1907年9月初旬、ザクセン陸軍省に所属していたシュテッヒャーは、陸軍少佐久邇宮邦彦王のプロイセン陸軍への受け入れと交換で来日、同年11月に静岡の連隊に、翌8年9月に東京世田谷第14砲兵連隊付武官となった。【松尾「来日したザクセン関係者」126-127頁】その時期に明治天皇の接見をも体験している。世田谷時代に猪狩亮介少佐、山田耕三大尉と親交を結ぶ。1909年11月に帰国した。1909年の『ザクセン国政便覧』によれば、ドレスデン駐屯第4野戦砲兵連隊所属となっている。1913年にはピルナ(Pirna)市駐屯第5野戦砲兵連隊に所属した。その年青島の守備隊に配属された。10月13日の一時休戦時に、カイザー少佐を通じて知友の山田大尉の安否を問う葉書を受け取った。山田大尉からはその後も、シュテッヒャー大尉を気遣う葉書がドイツ側前線に送られた。【マウヘンハイム(Mauchenheim)大尉の項を参照】松山時代、猪狩少佐の弟と知り合う。また来迎寺の収容所では他の俘虜達に日本語の授業を行い、山越の日曜講演会では「日本」と題して講演した。板東では、1917年10月2日「日本側から見た青島の戦い」の第1回講演(第2回は9日)を行った。板東テニス協会の理事長を務めた。板東の鳴門市ドイツ館には、シュテッヒャーが筆で書いた「忍耐 ステッヘル少佐」の書が額に納められて展示されている。【収容中に昇進したと思われる。フォラートゥン(Vollerthun)及びヴァルデック(Waldeck)の項を参照】
(3132:松山→板東)

雑誌 

1917年12月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第10号 1917年12月2日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1919年03月06日: 日刊電報通信

1919年3月6日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年03月09日: 日刊電報通信

1919年3月9日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年11月07日: 日刊電報通信

1919年11月7日 第196号  (第8巻 vol.3 1919年9月1日~1919年11月29日)

1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第25号 1918年3月17日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1917年07月10日: 日刊電報通信

1917年7月10日  (第1巻 1917年4月18日~1917年8月31日)

1917年09月14日: 日刊電報通信

1917年9月14日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年10月03日: 日刊電報通信

1917年10月3日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年10月04日: 日刊電報通信

1917年10月4日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年10月06日: 日刊電報通信

1917年10月6日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年10月08日: 日刊電報通信

1917年10月8日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年11月13日: 日刊電報通信

1917年11月13日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月09日: 日刊電報通信

1917年12月9日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月18日: 日刊電報通信

1917年12月18日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1918年02月02日: 日刊電報通信

1918年2月2日  (第3巻 1918年1月1日~1918年4月30日)

1918年02月05日: 日刊電報通信

1918年2月5日  (第3巻 1918年1月1日~1918年4月30日)

1918年02月14日: 日刊電報通信

1918年2月14日  (第3巻 1918年1月1日~1918年4月30日)

1918年05月25日: 日刊電報通信

1918年5月25日  (第4巻 1918年5月3日~1918年8月31日)

1918年10月04日: 日刊電報通信

1918年10月4日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)

1918年10月11日: 日刊電報通信

1918年10月11日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)

1918年10月15日: 日刊電報通信

1918年10月14日(訂正15日)  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)

1918年10月19日: 日刊電報通信

1918年10月19日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)