人名
| 注記 | 雑誌 |

リーデル, エリッヒ

予備役海軍歩兵隊卒 第6中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Starb am 6. Dezember 1917 im Lager Bandō (Nachruf in: "Die Baracke“ No. 12 vom 16. Dezember 1917).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第6中隊・2等歩兵。〔湛山堡塁〕。[民間客船コック]。郷里のプラウエンでコックの修業をした後、1912年から船のコックとして世界中を回った。ロイド汽船会社の客船プリンツ・アイテル・フリードリヒのコックとして乗り込んでいた時、大戦が勃発して船は軍に徴用され、青島で志願兵として応召した。ビスマルク兵営でコックの任に就き、やがてイルチス兵営に移った。更に10月中旬から湛山堡塁の第6中隊の厨炊所に移った。松山時代は収容所の士官食堂で仕えた。【『ディ・バラッケ』第1巻152頁より】1917年12月6日徳島衛戍病院で死去。『バラッケ』12号は彼の追悼記事を載せた。【板東関連文献では、Kurt Erich Riedelとなっている】
(3072:松山→板東)

雑誌 

1917年12月16日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第12号 1917年12月16日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

1918年01月06日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第15号 1918年1月6日  (第1巻 1917年10月~1918年3月:第1号 1917年9月30日~第26号 1918年3月24日)

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年9月  (第4巻 1919年4月~9月)

1917年11月24日: 日刊電報通信

1917年11月24日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月04日: 日刊電報通信

1917年12月4日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月05日: 日刊電報通信

1917年12月5日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月06日: 日刊電報通信

1917年12月6日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)

1917年12月08日: 日刊電報通信

1917年12月8日  (第2巻 1917年9月1日~1917年12月31日)