人名
| 注記 | 雑誌 |

スクリーバ, エーミール

予備役少尉 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wurde im August 1918 vom Lager Kurume ins Lager Narashino verlegt (s. T.T.B. vom 07.09.1918).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊・予備陸軍少尉。
父はユーリウス・カール・スクリーバ博士で、E.ベルツとともに東京帝国大学医学部の基礎を築いた人物。母は富山県出身で名は神谷ヤスといい、その間に次男 として生まれた。久留米時代の1915年11月5日に発生した、真崎甚三郎所長によるベーゼ、フローリアン両将校殴打事件では、日本通としてフォークト(Vogt)予備少尉とともに真崎所長とアンデルス少佐の会談に列席した。1918年8月6日習志野に移送された。1919年12月17日、リューマチと喘息で苦しんでいた母親が軽い脳溢血を起こしたことから早期の解放を願い出た。兄は欧州大戦に従軍して負傷し、障害者となってスイスに居た。大戦終結後は日本窒素(株)に入社し、ビジネスマンとして活躍した。
(3643:熊本→久留米→習志野)

雑誌 

1918年09月07日: 日刊電報通信

1918年9月7日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)