人名
| 注記 | 雑誌 |

グロスマン, ハインリッヒ

海軍歩兵隊卒 第2中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

Wurde bei Neuwahl des Krankenkassenvorstandes September 1918 gewählt (vgl. „Die Baracke“ No. 20 (73) vom 16.02.1919).
 

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

海軍歩兵第3大隊第2中隊・2等歩兵。
[商社員]。
神戸北野のドイツ貿易商館イリス商会に10年勤務していた。西山リョウという内縁の妻がいて、日本語に堪能であったが、関西弁だった。リョウは1918年7月13日、板東に最初の面会に訪れた。板東時代、管理棟本部事務室の通訳を務め、またティッテル(Tittel)と共著で板東収容所印刷所から、『日本の小学校読本解説(12巻)』を出した。1918年9月には、「板東健康保険組合」の第2中隊代表理事に選ばれた。
解放まじかのある時、知友のユーハイム(Juchheim)から手紙を受け取る。その手紙には、大戦終結後にアジアに残るために似島では日本語、中国語学習が盛んであること、また習志野収容所の俘虜は、大戦終結後に北海道移住を希望するものが多いといったことが記してあった。
(1889:丸亀→板東)

雑誌 

1919年06月04日: 日刊電報通信

1919年6月4日 第48号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)

1919年02月16日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

第20 (73)号 1919年2月16日  (第3巻 1918年10月~1919年3月:第1号(54)1918年10月6日~第26号(79)1919年3月30日)

1919年03月04日: 日刊電報通信

1919年3月4日  (第6巻 vol.3 1919年1月1日~1919年5月31日)

1919年07月26日: 日刊電報通信

1919年7月26日 第101号  (第7巻 vol.3 1919年6月1日~1919年8月31日)