人名
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クライ, パウル

海軍歩兵隊卒 第2中隊 海軍歩兵第3大隊

注記 

51. Platz beim Wettgehen im Lager Bandō am 17. April 1919 (s. "Die Baracke" vom April 1919, S. 130-131).

以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。 

(1894-1992)
海軍歩兵第3大隊第2中隊・2等歩兵。
〔ビスマルク砲台〕。1911年植民地勤務の海軍歩兵大隊に志願し、1913年青島に赴いた。降伏前日に右腕を負傷、丸亀では軽傷者のための病院で しばらく過ごした。大戦終結後は警察官となったが、第2次大戦でソ連の捕虜となり9年間シベリアの収容所で過ごした。ライポルト(Leipold)等と「バンドー会」(当初は80名余の会員があった)を結成しフランクフルトで例会を開いた。大阪万博の折りライポルトと来日し、板東を再訪した。青島ドイツ人俘虜の最後の生存者とも言われたが、1992年5月97歳で死去した。
(1949:丸亀→板東)

Sportprogramme 

競歩大会 1919年4月15日

雑誌 

ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞

1919年4月  (第4巻 1919年4月~9月)

1918年10月04日: 日刊電報通信

1918年10月4日  (第5巻 1918年9月1日~1918年12月31日)