人名
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注記 |
雑誌 |
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ハンナスキー, オットー |
予備役2等砲兵 第3中隊 膠州海軍砲兵大隊 |
注記
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, als Aussteller von Fleischwaren (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 570).
Arbeitete in Küche I (s. T.T.B. vom 09.05.1918).
Verkaufte Salzheringe im Lager Bandō (vgl. T.T.B. vom 31.01.1919).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍膠州派遣砲兵大隊第3中隊・予備2等砲兵。
板東時代は収容所内の食肉加工係を務め、また御用商人経営の牧舎に雇用された。公会堂での工芸品展には食肉加工品を出品した。
(4173:大阪→徳島→板東)
雑誌 1919年01月31日: 日刊電報通信
1919年08月31日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年06月29日: 日刊電報通信
1917年07月15日: 日刊電報通信
1917年07月24日: 日刊電報通信
1917年08月29日: 日刊電報通信
1917年09月26日: 日刊電報通信
1917年10月13日: 日刊電報通信
1917年10月15日: 日刊電報通信
1918年03月22日: 日刊電報通信
1918年05月09日: 日刊電報通信
1918年05月13日: 日刊電報通信
1918年09月21日: 日刊電報通信
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