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人名
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注記 |
雑誌 |
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マウラー, ヴェアナー |
大尉 野戦砲兵隊 海軍歩兵第3大隊 |
注記
Hielt Vorträge im Lager Bandō, z.B. Juni 1917 (vgl. „Die Baracke“ No. 10 vom 2. Dezember 1917).
Wird im Rahmen der "Ausstellung für Bildkunst und Handfertigkeit" im Lager Bandō im März 1918 genannt, Schiedsrichter in der Abteilung "Bildkunst" (s. "Die Baracke" No. 25 vom 17. März 1918, S. 553).
以下の伝記データは、高知大学・ 瀬戸武彦教授のデータに基づくものです。
海軍野戦砲兵隊・海軍中尉。〔要塞車厰第1次指揮官〕。松山時代の1915年12月、製菓所を設立する際に中心的役割を果たし、これが後の板東での製菓・製パン所(ゲー・バー)に繋がった。また山越の講習会では軍事学を講じた。 (3012:松山→板東)
雑誌 1917年12月02日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1919年09月16日: 日刊電報通信
1919年09月24日: 日刊電報通信
1919年09月26日: 日刊電報通信
1919年10月01日: 日刊電報通信
1919年11月04日: 日刊電報通信
1919年11月05日: 日刊電報通信
1919年11月07日: 日刊電報通信
1919年11月10日: 日刊電報通信
1919年11月11日: 日刊電報通信
1919年11月13日: 日刊電報通信
1919年11月15日: 日刊電報通信
1918年03月17日: ディ・バラッケ。板東俘虜収容所新聞
1917年06月23日: 日刊電報通信
1917年07月25日: 日刊電報通信
1917年10月04日: 日刊電報通信
1917年10月06日: 日刊電報通信
1917年10月08日: 日刊電報通信
1917年10月15日: 日刊電報通信
1918年10月04日: 日刊電報通信
1918年10月09日: 日刊電報通信
1918年10月10日: 日刊電報通信
1918年10月19日: 日刊電報通信
1918年10月26日: 日刊電報通信
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